せんじつ朴慶南という人の書いた「サラムとサラン」という
本を読んでいたら木浦共生園と淺川巧の墓地、沙也可の里に
行って来たことが書いてあり
韓国に昔はまった人たちは子供がはしかに罹るように
尋ねていくんだなと思いました
実は私も本を読んでそれを知ったので3箇所に行ったことがあります
共生園には
参加して光州民主化運動の歴史を学びに1週間
光州YWCAに泊り込みまして、いろいろ見学したのですが
8月19日の午後、フリータイムの時に希望者6人で
バスに乗って行きました
韓国の西南にある港町で戦前から韓国人の夫とともに
孤児の世話をして骨を埋めた日本人、田内千鶴子さんの孤児院
当時の代表者は田内さんの孫だったと記憶していますが
留守で総務の劉さんの話を伺った記憶が残っています