amihsim’s blog(amihsimの歳時記)

韓国語学習のつぶやきと日常の記録

韓国のカレンダー


韓国のカレンダーは毎年買ってきてもらうなどして

愛用してます

韓国では日本と同じように普段は陽暦を使っていますが

昔からの行事などは旧暦を使うため

秋夕(お盆)や旧正月の日付は毎年変わります

そのために韓国のカレンダーには旧暦の行事が書いてあります

これがわかると何かと便利なのです

旧暦のほうが季節に合っているのではないかと思います

Eマート


韓国に行った時
おみやげなど買い物した商品を日本まで送ってしまい
身軽に帰ってくるのが常で
ここ最近は龍山のEマートで買い物をしてEマート内の
サービスセンターから送っていましたが
今回は外国まで送るサービスをやめたとのこと
それを知らずにたっぷりと買い物をしてしまいガックリ
仕方なく3袋に分けてホテルに持ち帰り
翌日に郵便局からEMSで自宅に送りました、とほほでした


はじめから分かっていたらソウル駅にある
ロッテマートで買って日本まで送ったのに、、、、
でもなぜロッテに行かないかというと
日本人観光客がが多すぎてね
Eマートはすいていて買い物が楽です

チマチョゴリ



写真は景福宮の前ですが

ご覧のとおりチマチョゴリを着た女性たちを

仁寺洞、北村、宮殿などで良く見ます

聞くと韓服を着ていると入場料が安くなったり

各種特典を受けられるようです

レンタルのものですがきれいでいいですね

でもちょっと変

日本人や中国人が来ているので

着こなしと歩き方がもう一つ

仕方がないところですがね

チャジャンミョン



韓国へ行ったら必ず1回は食べるくらい

大好きな料理の一つがチャジャンミョンです

ある意味、韓国人の国民食と言えるかもしれないくらい

子供から大人まで人気があります



今回は宿泊したアベンツリーホテルの2軒南にある

万里長城という中華料理店で食べました

美味しい!! 

これが病み付きになるのですよ

ペク・インジェ家屋



白麟済(ペク・インジェ)という方は

ソウルの芋洞(チョドン)にある白病院という大きな病院の

基礎を作った方で

ある意味では仁済大学の基も作ったと言えるかもしれません

住んでいた家が公開されたと聞いて一度行きたかった所でした

場所は北村にあります

745坪の広大な敷地に趣のある家でした素晴らしい

一度行ってみることをお勧めします

ミョンドン



ソウルの名所といえば

今も昔もやはり明洞(ミョンドン)がその一つでしょう

ということで行ってみました

中国人旅行客が減ったと聞いてますが

なんのなんの、かなりの数の観光客がいました

どこを歩いても中国語が聞こえてきます

ミョンドンだけでなく故宮へ行っても

写真は中央通りの屋台

小腹がすいたので、しばらくぶりにトッポッキを食べました

草堂スンドゥブ


このあいだテレビ東京で放送していましたが

韓国の江陵市(カンヌンシ)草堂洞(チョダンドン)にある

スンドゥブ

普通はスンドゥブといえば唐辛子で赤いものが多いのです

ここでは白いものもあるのです

ガリの代わりに海水を入れて作る豆腐が昔から有名で

とても美味しい



2002年の夏に行ったことがありまして

懐かしい風景をテレビで見ました

でも15年のあいだに随分きれいに変わりましたね

普通に美味しいスンドゥブはソウルでも食べられますが

ここのは一味違います

リムジンバス



仁川空港からソウルの市内に入る方法はいくつか有ります

今回はホテルがチョンノにあるのでリムジンバスを利用しました

日本に比べて公共交通の安いのはありがたいのですが

それでも行くたびに物価が上がっています

市内まで10000ウォン(約1000円)でした

物価と給料は連動していますので

給料が上がっている限り物価があがってもそう問題はないと

言われてますね

給料の上がる率の悪い日本からみると

韓国の値上がりは厳しく感じます

そういえば、東京よりソウルの方が物価が高くなったと

いわれて随分経ちますからね

朝鮮通信使



朝鮮通信使ユネスコに登録されるとか

朝鮮通信使とは朝鮮と日本のあいだで行われた相互交流の一つです

有名なのは朝鮮時代の12回ですが、その前の時代である

室町時代にも通信使は来ていました

さてこの朝鮮通信使ですが最初の4回までは

豊臣秀吉の朝鮮侵攻による捕虜の奪還を目的としたもので

名前のとおりの、よしみ(信)をかわす(通)ものではありませんでした

また5回以降の通信使も儒教を知らない日本(倭)に

朝鮮儒教を施しに行くのだという上から目線の目的が主だったのです

うずもれていた朝鮮通信使を有名にしたのは在日の学者が

発掘、広めたからでした

必ずしも友好親善のためではなかったということです

それをユネスコの遺産に登録していいものなのかどうか

ユネスコ自体がそんなに公平なものではありません

登録だと喜んでいますがメリットがあると同時に

デメリットもあるでしょう(あまりその件については報道されません)

どちらがいいかは分かりませんが慎重に対処したほうがいいのではと思います