1986年4月19日午後2時
大阪南港を出港した国際フェリーの船「オリンピア88」は
静かな瀬戸内海を航行して釜山へ向かっていた
今回は新しく就航したフェリーで韓国へ
特等室(¥26000)はテレビ、冷蔵庫、バストイレもついて
とても快適、対馬海峡も波が無くほとんど揺れない
翌、20日の10:00に釜山港に到着
11:15に下船して通関を済ませる
フロンティアクラブの会長以下メンバーが迎えに来てくれていた
市内見学をしたあと夜は例会に出席
83年9月から勉強し始めた韓国語が今回あたりから
聞き取りが出来るようになり例会場(ニューライフホテル)での
公式な会話はだいたい意味が理解できたのが嬉しかった
22日、朝食後メンバーと別れセマウル号に乗り大田へ(7500ウォン)
これが初めての韓国一人旅
でもハングルは読めるし旅行用の単語はバッチリ覚えたし
不安でしたが予想通り行く先々での韓国語は通じましたし
ゆっくり言ってもらえば理解ができました
でもね今から考えると旅行用の単語や日常の単語なんて
たいした数ではありません
当時は有頂天になりましたが、未だに韓国語は卒業できません
どうやら一生の勉強になりそうです
12:35大田に到着
釜山のメンバー金さんの友人を紹介してもらい今日はそこに
ホームステイの予定、場所は新灘津(シンタンジン)
T日報の宋さんが笑顔で迎えてくれた
(当時はまだ自由に入れました)管理事務所長の金氏の説明を
受けながらここを発掘した日大の軽部教授の話が出たことを
思い出します
その後、まだ整備中だった山城を見学し市内にあった
日式食堂の「南江」でさしみをごちそうになり
そこのマスターが板長をしていたソウルの「豊田ホテル」を
紹介してもらい二日後にはそこに宿泊することになります
23日、朝食後、出勤する宋さんの車で西部市外バスターミナルへ
扶余行きのバスに乗る(1650ウォン)、約1時間後到着
宋さんの紹介で,有名な歴史家、李夕湖先生の自宅を訪問し
百済の歴史や日本の古代史について話を伺う
帰りに「秋史」、金正喜の拓本をいただいてしまった
写真は定林寺址、当時は今みたいに整備されてなく
塀もなく、自由に敷地に入ることができました
その後は、国立博物館、定林寺跡、扶蘇山、白馬江下りなどをして
ソウル行きのバスに乗る(2630ウォン)3時間半後に
ソウルの龍山ターミナルに到着
豊田ホテルにチェックイン、1泊20000ウォン
当時韓国の中央大学に留学中であったKさんと会い
夕食を共にした(テハンノのナクサンガーデン)
カルビを食べて二人で10000ウォンでした
昔は安かったですね!
このときの為替レートは¥10000が51705ウォン